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院長ブログ

嶋村が京都府保険事業協同組合(保事協)に人物紹介されました

組合員訪問:人に風景あり⑫
嶋村 浩一 先生(亀岡市)  

組合員インタビュー第12回は、亀岡市で歯科を開業されている嶋村浩一先生をお訪ねし、四代続く歯科
医院で「患者さんとの二人三脚」をモットーに歯科治療に取り組む先生の意気込みを拝聴しました。スケッチは古い城下町の名残りただよう亀岡の町並です。

Q:先生はお生まれも亀岡なのですか?

A:はい、亀岡で生まれて育ちました。祖父が大正3年8月10日に嶋村歯科医院を開設しました。祖父が昭和28年に亡くなり、まだ学生だった父に代わって東京歯科大学そして慈恵会医科大学を出た伯父が2代目の開設者になりました。その後父が卒業し京都大学口腔外科での研修が終わり歯科医院を継承しました。伯父は東京歯科大学の講義で解剖学や発生学に興味を持ち、医学を志したようです。
私は平成8年に医院の建て替えを機に父から開設者を変更しまして四代目院長ということになります。

Q:幼い頃から歯科医院を継ぐおつもりでしたか?

A:そうですね。やはり物心ついた頃から、自分は古くから続いた歯科医院の後継ぎであることを何気なく意識していたように思います。幼い頃から自分の人生をイメージできたことは私にとっては良かったのかなあと今になって思っています。

Q:どんな少年時代でしたか?

A:小学生時代は近所の野原で草野球に興じる普通の子供でした。同志社中学、高校に通いましたが通学時間が長く、クラブ活動は無理な状態でした。ただ中学時代、血液型のABOの関係やメンデルの逸話を授業で聞き、生物に興味をもったことが印象に残っています。

Q:大学時代は?

A:大阪歯科大学ではバレーボールをやっていました。私が入った時に愛好会から同好会になったところでしたので、そんなに強くはなかったのですが、6年生のオールデンタル(大学対抗戦)まで現役を通していました。楽しかった思い出ばかりですね。特に3回生のオールデンタルの会場で東海大学のバレー部と練習試合をして当時全日本クラスの選手のアタックを受けた時の感触は忘れません。

Q:卒業後は?

A:大学での講義で口腔外科に興味を持ちました。又歯科学全体の研修もしたかったので先輩が多く在籍している京都府立医科大学歯科に入局しました。堀部長からは多くの厳しい指導を受けましたが府立医科大学の伝統の家族的な環境の中で有意義な研修生活を送ることができました。堀部長、武田副部長、松田診療主任、上松医局長はじめ先輩や同僚には感謝しています。

Q:平成8年のご継承までの経過は?

A:昭和60年から中京区の歯科医院へ4年間勤務していました。その前の府立医科大学時代から父の手伝いを少しずつ始めていました。少しずつ手伝う時間・日数を増やしていきましたので、比較的スムーズに引継ぎができたのではないかと思います。とくに30数年勤めてくれていたスタッフや良い患者さんに恵まれたことはありがたかったですね。

Q:患者さんとの地域的つながりという意味ではいかがですか?

A:この周辺が地域的つながりの残る古い町である事。そして嶋村歯科医院が古くからある歯科医院であること。そのような中で患者さんとの人間関係が深いことは大きな財産です。祖父が若いころに診ていた人から数えると七~八代末裔の患者さんを私が診ていることもあり得るのでやはり責任を感じてしまいますね。

Q:先生にとっての今後の課題は?

A:現在は患者さんの多様なニーズがつかみにくい時代ではないかと思っています。患者さんが抱いている漠然とした要望に対して、的確な治療方針を示してあげられるような感性を高めたいと思っています。やはり医療は「患者さんや社会そのものとの二人三脚」で取り組むべきものですからね。

Q:先生のストレス解消法は?

A:特に揚げるような趣味はないのですが、京都や奈良の古寺を歩いて巡ったり、街中で偶然に良い店に出会ったりするのが楽しい時間です。

Q:保事協に期待することなどありましたら?

A:昨秋の60周年祝賀会など楽しい交流の企画には是非とも参加したいです。また医師会、歯科医師会そしてその他の団体の交流の場としてもますますの発展を期待しています。

                             (文責・スケッチ:大森事務局長)

投稿者 shimamurashika